蓼科山(タテシナヤマ) | |
標高2530m | |
立科町、茅野市 | |
登山日1997年 8月 3日 | |
蓼科山山頂 |
●予定変更
8月3日は一週間遅れで「白砂山」へ行く予定であったが、8月2日の晩、先発隊のJR1C** Sさんから有線が入り、激しい夕立の為、「白砂山」は中止になり「八間山」に登るという。
「八間山」は以前に登った事があるので、ここは急遽変更して以前から考えていた、「蓼科山」に行ってみることにした。
「白砂山」へ登るために用意はととのっている、いつもより早く家をでて、国道254号で佐久市にでて、142号で望月町に入るが、「鹿曲川林道」へ行く道がよく解らない。
新望月トンネルをぬけて最初の信号機のある十字路を左折したが、どうも一本先の道に入ってしまったよだ、帰りに解ったが、「鹿曲川林道」への道は、新望月トンネルを抜けた高架の下を通っているようで、旧の望月トンネルの方へ行かないと直接入れないようだ。
そんなわけで、寺久保とかいうあたりの狭い道を走って、望月高原牧場の中を通ってやっと「鹿曲川林道」に入る事ができた、30分くらいロスをしたようだ、林道のゲートは早朝のため無人で行きは無料で通る事ができた。
この林道は全面舗装して有るが、落石が沢山あって、あまり気持ちの良い道ではない、しかし両側が切り立った崖などがありなかなかスリルのある道だ。
標高が2000mに近くなる頃、正面に大きなマンションのような建物が有るのにはビックリした、「蓼科仙境都市」という別荘地らしい、こんな高いところに別荘を作るなんて、”なんてバチアタリナ別荘地なんだ”と貧乏人のひがみがでてしまった。
●大河原峠
別荘地を過ぎるとまもなく食堂とヒュッテが建つ「大河原峠」に着いた、車は既に5、6台停められている、風があって寒い、ガスが出ていて遠くは見えないが、上空には青空も覗いている。
仕度をして登り始める、登山道は樹林帯の急登で展望は無い、石がゴロゴロしたまるで河原のような道だ、439.88MHzのレピーターはハンディー機でも良く開き、「八間山」に登っているJR1C** Sさんや、JA1U** Iさんと話しながら歩く。
山頂は雲の中 |
登山道いたる所泥濘になっていて、ズボンの裾は泥だらけだ、やがて平坦な道になり、やや下って「将軍平」についた、めざす「蓼科山」は雲の中だ。
小休止して登り始める、今度は大きな石が積み重なった急登で、これでは「蓼科山」というより「石尊山」と言った方がふさわしい。
●蓼科山山頂
山頂は石だらけ | 蓼科山山頂 |
山頂もやはり石だらけで、これほど石の多いのは初めてである、展望は360度ガスで方向が全く解らない、磁石を持ってこなかったのが悔やまれる。
無線はレピーターでは二つ開いてしまい使いものに成らない、シンプレックスでは伊勢崎のモービルと思われるローカルさんと59で快適にQSO出来るが、「八間山」のJR1C** Sさんとはまったく交信できない、後で地図で調べたら、丁度「浅間山」の影になっているようだ。
簡単な食事をして1200MHzでCQを出してみたが、思わしくない、方向が全く解らないせいか、広い山頂の端の方に移動して、CQを出すと伊那市の局が応答してくれた。
ときどきガスがとぎれる |
時折ガスがとぎれると、下の方に湖が見える、「白樺湖」のようであるがはっきりしない、さらに場所を変えてCQを出すと埼玉県大里郡と栃木県の足尾町の2局と交信してもらえた。
●山頂は大変なにぎわい
山頂に着いて2時間くらい経っただろか、登山者の数が凄い、広いのであまり苦にはならないが、100名山ということで人気が有るようだ、中高年はもちろんだが、若い人や、子供を連れた家族づれ、中学生と思われる団体や、ボーイスカウトなどなど、沢山の人達がいる。
山頂直下からの眺望 | 沢山の人達が登ってくる |
下山にかかると、まだまだ沢山の人達が登ってくる、なかにはザックを持たない人や、運動靴の軽装な人など千差万別である、「大河原峠」に降りてみたら、辺りは車でいっぱい、大型バスも来ていた。
八ヶ岳連峰は沢山の山々があるが、簡単に登れるのは、「蓼科山」と「横岳」くらいか、機会をみてまた幾つかせめてみたい山々である。
●記録
大河原峠 7:00 -(1:02)- 8:02 将軍平 8:11 -(0:28)- 8:39 蓼科山山頂 10:48 -(1:25)- 12:13 大河原峠
1997年 8月 foxtrot